(7) ヤマブキ(バラ科)Kerria japonica=日本の
鎖国中の日本を最初に訪れた植物学者で、出島のオランダ商館の薬草園の担当のゲオルク・マイスターが1692年にJammavvikyとして西欧に初めて紹介した。その後、出島の3学者(ケンペル・ツンベルク・シーボルト)の全ての著書に記述されている事からも、ヤマブキは長崎で手に入れやすく、また西欧人にとって非常に珍しい植物だったことが伺われる。
1805年に生きた八重の品種を中国からイギリスに持ち込んだのは、属名に名を残すウィリアム・カー(Kerr)。繁殖のし易さからか、数年のうちに、ロンドンでは「労働者の家の庭先でも見ることのできる」ごくありふれた植物になった。この図譜の説明文では、「日本ではこの茎の髄に細かい細工と彩色をして小さく圧縮し、酒や水の中に入れると泡をだしながら美しい花鳥や人形となって浮かんでくる細工物として使われる」という、今では殆ど廃れた趣向「酒中花」に言及し、興味深い(左:Curtis(英)1810銅版手彩色)。
初期は八重の品種しか入っていなかったため、分類が困難だったが、1835年日本から入ってきた一重の品種によってバラ科に帰属された。現在では半日陰でも育ち、病害虫につよく、色よく花期の長い特性を買われ、「金貨の花Golden Guinea」の名で摩天楼の植え込みなどに利用されている。
右:Lemaire(蘭)1854 多色石版 1860年代の「八重の花と斑入りの葉とは共存しない」という理論に反するとして、当時の学会に騒がれた図版。実際は原画家が芸術的効果を狙って創作したらしい。