アオキ(ガリア科) Aucuba japonica=日本の
江戸時代の日本の園芸は、当時の世界で一番洗練されていた。斑入りの葉を持つ変種を高く評価した事も、世界に例がなく、 英国に最初に入ったアオキも斑入りであった.出島の医師ケンペルによりAükubaとして欧州に紹介され(「廻国奇観」1712)、1784年ツンベルクの「日本植物誌」にアオキの図版が掲載され(左、東大)学名がつけられた。
1783年、ジョン・グラフィエによってイギリスに最初にもたらされたアオキは斑入りの雌木だったので、実は付かなかったものの、英国の冬に負けない、またロンドンのスモッグにも強い、つややかな色よい葉が愛でられいくつもの賞を得た。 鑑賞価値の高い赤い実をつけさせるための雄木を得る目的で、1861年の日本開国とともに英国から派遣されたのが、プラントハンターとして名高いR.フォーチュンであった。彼の「幕末日本探訪記-江戸と北京」(1863)には、横浜のフォール医師宅でこの木に巡り合った時の喜びが「深紅色の実をいっぱいに着けたこの植物が、我々の家の窓や庭を飾る情景を想像されたい。そのような結果の現れは、私がイギリスからはるばる日本に旅行しただけの価値があると思う。」と記されている。 ワォード氏の箱に大切に守られて英国に入った雄木は,高価で種苗業者に買い取られ,人工授粉によって真っ赤な実をつけたアオキは、1864年のケンジントンでの博覧会で大センセイションを巻き起こした。おかげで、雄木は雌木の100倍以上の値がつき、また受粉用の雄木の鉢植えのレンタルまであったとの事である。
カーチスのボタニカルマガジン(英)に最初に収載された図は、斑入り葉の雌木で実はなかった(上左:1809年,銅版手彩色)が、英国で初めて実のなった次年には赤い実と雄花、雌花が描かれている(上中:1865年,石版手彩色)。英国はもちろんオランダ、ドイツなどの図譜にも、実の付いた斑入り葉(上右:A.J. Wendel 蘭1876年,多色石版)や黄実のついた株が描かれて、いかに人気が高かったかが分かる。なお、属名の Aucuba は日本語の「あおきば」から来たといわれている。 今では欧米の公園には広く植えられ、しかも日本より実が美しい。これは実をいびつにし赤く色づくのを妨げるアオキミタマバエという寄生虫がいないから。