2010年3月17日水曜日

海を渡った日本の花

外国への旅の楽しみの一つに、ホテルの周りや公園に生育している植物を観察することがある。見覚えのない草木のなかに、しばしば、あれ!これは日本の植物では?と思われる草や木が誇らしく花を着け、葉を茂らしているのにお目にかかる。特に欧州北部の英国などではサクラ、ツバキやアオキ、ハマナスが季節を彩る花木となっているが、これらは昔日本からはるばる海を越えてもたらされた植物の子孫である。

大場秀章元東大教授は「花の男 シーボルト(2001年 文藝春秋)」で「世界の園芸とその歴史を見るとき、日本の植物は実に大きな影響を及ぼしているのである。特に十九世紀から二十世紀初頭にかけての西欧の園芸界は日本や中国の植物を競って移入した。この熱狂がすっかりヨーロッパのガーデンを変貌させてしまったと言ってよい。」と述べているが、それには理由がある。

ヨーロッパ北部では大氷河期に北から氷河が押し寄せ、それまで繁茂していた多様な植物は南に逃げ出したが、アルプス山脈に行く手を遮られて絶滅した。氷河が去ったあとでも、南の植物が北上することもかなわず、貧弱な植生のままになってしまった。特に冬は緑がほとんど見られない落葉した広葉樹と黒い針葉樹の寂しい風景が一般的である。もちろん、イタリアなどの地中海沿岸には美しい花や果実が見られるが、北のほうでは温室(オランジェリー-オレンジ用の温室)でしか育てられなかった。 しかし、当時大陸と地続きだった日本においては、氷河期に南に逃げ出した植物はゆっくりと寒い気候に適応しながら北上し、常緑広葉樹を含む多種多様な耐寒性のある植生を回復した。むかし欧州人が日本を訪れたとき、植生の多様性と寒い気候にも耐えうる観賞価値の高い植物に驚き、何とかこれを欧州にもたらし、その庭園を彩ろうと考えたのに無理はない。しかし、2回も赤道を渡る長期の船旅に生きたままの植物を運んでいくのは難しかった。