2010年3月17日水曜日

日本の花を西欧に紹介した人々

18世紀初頭にツバキが欧州に移入され、ドイツやポルトガルで今でも花を咲かしているが、中国やインド経由で入った可能性が高く、多数の植物が直接渡ったのは江戸時代も後期になってからであった。

科学的に正確な日本の植物の情報が欧州に入っていったのは、出島のオランダ商館の医師たち(出島の三学者)の功績であるが、皮肉なことにこれらの人々は全員オランダ人ではなかった。

ドイツ人のケンペル(1651- 1716)はペルシャやインドを経由して日本をおとずれ(1690-92)、「廻国奇観」(1712年)にイチョウやツバキなどの日本の植物の精密で美しい絵を掲載した。リンネはこの著作に基づき、未見の日本の植物に学名をつけた。
リンネの高弟のツンベルク(スウェーデン人)(1743-1828)はリンネからの指示を受け日本に滞在し(1775-76)、著書「日本植物誌」(1794年)で多数の種に学名をつけ、日本の植物学の父といわれている。
有名なシーボルト(ドイツ人)(1796-1866)は1823-1829年に渡り西洋医学・科学を日本に根付かせると同時に、自由に出歩けない鎖国下の困難の中で膨大な博物学資料を収集し、当時西欧で唯一日本と交易していたオランダの貿易をより実利のあるものにしようとした。帰国後著した大冊の「日本植物誌」(1835-41)には美しく彩色された植物図版と詳細な解説が記載されているが、同時に、生きた日本の植物を多数持ち帰り、当時としては画期的な通信販売で欧州に普及させることを夢見た。彼が運んだギボウシ、スカシユリ、カノコユリ・テッセン等の植物は、不思議な運命の巡り会わせで、ベルギーをも欧州一の花の国にした。

開国後は英国人フォーチュン(1812-1880)に代表されるプラントハンターが日本を訪れ、ヤマユリやアオキ、クリンソウなどを持ち帰り、その美しさ・豪華さで欧州の園芸家に衝撃をあたえ、その庭を豊かなものにした。特にユリの球根は、その後日本の有力な輸出品目となり、カサブランカなどの優良な園芸品種の生みの親になった。

彼らの紀行文には、江戸時代の園芸がいかに世界的に洗練されていたか、一般庶民がどれほどそれを楽しんでいたか、染井や団子坂の植木村の大きさが彼らに大きな驚きを与えたかが異本同音に書かれていて興味深い。

海を渡った日本の花

外国への旅の楽しみの一つに、ホテルの周りや公園に生育している植物を観察することがある。見覚えのない草木のなかに、しばしば、あれ!これは日本の植物では?と思われる草や木が誇らしく花を着け、葉を茂らしているのにお目にかかる。特に欧州北部の英国などではサクラ、ツバキやアオキ、ハマナスが季節を彩る花木となっているが、これらは昔日本からはるばる海を越えてもたらされた植物の子孫である。

大場秀章元東大教授は「花の男 シーボルト(2001年 文藝春秋)」で「世界の園芸とその歴史を見るとき、日本の植物は実に大きな影響を及ぼしているのである。特に十九世紀から二十世紀初頭にかけての西欧の園芸界は日本や中国の植物を競って移入した。この熱狂がすっかりヨーロッパのガーデンを変貌させてしまったと言ってよい。」と述べているが、それには理由がある。

ヨーロッパ北部では大氷河期に北から氷河が押し寄せ、それまで繁茂していた多様な植物は南に逃げ出したが、アルプス山脈に行く手を遮られて絶滅した。氷河が去ったあとでも、南の植物が北上することもかなわず、貧弱な植生のままになってしまった。特に冬は緑がほとんど見られない落葉した広葉樹と黒い針葉樹の寂しい風景が一般的である。もちろん、イタリアなどの地中海沿岸には美しい花や果実が見られるが、北のほうでは温室(オランジェリー-オレンジ用の温室)でしか育てられなかった。 しかし、当時大陸と地続きだった日本においては、氷河期に南に逃げ出した植物はゆっくりと寒い気候に適応しながら北上し、常緑広葉樹を含む多種多様な耐寒性のある植生を回復した。むかし欧州人が日本を訪れたとき、植生の多様性と寒い気候にも耐えうる観賞価値の高い植物に驚き、何とかこれを欧州にもたらし、その庭園を彩ろうと考えたのに無理はない。しかし、2回も赤道を渡る長期の船旅に生きたままの植物を運んでいくのは難しかった。

2010年3月15日月曜日

初めに

小さいころから植物が好きで、牧野富太郎の子供向けの「原色植物図鑑」をあかずに眺めていた。残念ながら大学では化学を専攻したが、33年前に就職先から派遣された英国のケンブリッジで、それまで高嶺の花と思っていた100年以上まえの美しい植物版画(アンティーク・ボタニカル・プリント)が比較的安価で入手できるのを知り、それからこつこつと集めはじめ、今ではその数300枚以上になった。

海外の出張先や、ネットオークションで購入しているが、特に江戸時代から明治初期に海外に移出され、異国の地で花咲いた日本の植物が描かれている図譜は、その導入の歴史も解説ページに記載されているので興味深く、現在ではこれに焦点を絞って集めている。日本の植物に魅せられたシーボルトやフォーチュンが苦心して運んでいった植物が、欧州の植物園や種苗家のもとでどんなにか大事に育てられ、咲いた花がいかに歓迎されたかを知ると、当時の日本の園芸のレベルや大衆性と共に高く評価されるべきと、誇りさえ感じる。

各種文献やインターネットで集めた情報を元に、私が集めた日本の花が描かれた欧州植物版画、及び各地で撮った写真とともに、海を渡り、西欧に根付き、庭園を美しく彩っている幾つかの植物の物語を紹介します。